日本語学習者による日本語スピーチ
1.アラウディン アハメド
ボランティア: 春日(かすが) 建二(けんじ)・小川(おがわ) 猛(たけし)
皆様こんにちは、お忙しいところご参加いただきましてありがとうございます。
私の日本語の学習についてお話をさせていただきます。
日本に来る前はバングラデシュの学校で日本の事を勉強しました。
内容は次のとおりです。
(1)日本は美しい山国である。
(2)日本人は真面目である。
(3)日本人は派手な服が大好きである。
(4)日本人は嘘をいいません。(実際は違うかもしれません。)
(5)日本は世界で一番初めに太陽が昇る国である。
(6)バングラデシュにも広島と長崎の原子爆弾で亡くなった人たちの記念日があった。
(7)沖縄はアメリカの植民地であった。
最初1997年7月泉佐野公民館でボランティアの先生とコーヒーを作ったり、飲んだりした事から会話が始まりました。それまで私は日本語を全然話せませんでした。平仮名を覚え、次に片仮名、単語や短い文章を理解しました。先生から習った事をその日、家に帰ってから一回読み、三回程書きました。
3ヵ月程で日常会話が出来るようになりました。ところが2002年12月に携帯電話の部品を作る会社に入社し、入社後は工場で研修をしていましたが2004年9月生産管理に移ってから仕事の上で漢字が必要になりました。
そこで漢字検定を目標にKAIFAのボランティアの先生から初めて漢字を習い、2005年1月漢字検定8級、6月7級、10月5級に合格しました。
今年10月に漢字検定3級及び12月に日本語能力試験2級を受けるつもりです。
また今後は最高の日本語能力試験1級を目指す為に貝KAIFAのボランティアの方々の力を借りて勉強を続けていきたいと思います。先生も非常に熱心に教えて下さっていますので分かりやすいです。
2.王(おう) 小玲(しょうれい)
ボランティア:千歳(ちとせ) 敞造(ひろぞう)
「日本に来た私のこれからの夢」
こんにちは、私は王小玲と申します。去年の11月に中国から日本にやって来ました。
初めは、右も左もわからなくて、言葉や習慣の違いから失敗ばかりしていました。心のうちでいつも緊張していました。
日本に来る前は、日本人は世界で一番丁寧で、優しくて、親切な人たちだと聞いていました。また日本は科学技術が発達した国だと聞いていました。私は今、日本に住んでみて、それを実感しています。日本のボランテアの先生は私に日本語を教えてくださいます。千歳先生は私が通っている貝塚国際交流協会の先生です。私が日本語についてわからないことを聞きに行くと、いつも親切に、丁寧に、ゆっくり教えて下さいます。今、日本語への興味が増してきています。テレビを見たり、ラジオを聞いたり、新聞や小説などをすらすら読んだり、したいと思っています。日本語能力試験にも挑戦しようと思っています。
こちらの生活にも少し慣れてきました。スーパーでの買い物もできるようになりました。そして日本のいろんな所に行ってみたいと思っています。
京都へ行った時、お寺や神社が多いのに驚きました。西本願寺では成人の日だったので、大勢の人でにぎやかでした。和服の若い女の人はきれいで、若い男の人はハンサムでした。まるで映画を見ているようでした。私は一緒に写真を撮ってたのしみました。嵯峨野の竹林、有名な二条城、広大な京都御所、さすが「千年の古都」です。見れば見るほど日本に興味が増してきます。旅行の計画もあります。でも少し残念なのは、日本語の表示案内文がまだよくわかりません。
これから更に日本語の勉強を一生懸命に頑張って行こうと思っています。
ご清聴ありがとうございました。
※王(おう)小玲(しょうれい)さんは当日所用の為、欠席で「ことば」部会副部長 川口 葉利子さんが代読致
しました。
3.クライン ライアン
ボランティア:石原(いしはら)三永子(みえこ)・高橋(たかはし) 智夫(ともお)
こんにちは。わたしはライアンです。わたしはアメリカじんです。さんねんまえに、にほんにきました。でも、にほんごはにねんしかべんきょうしていません。いまカイファでいっしゅうかんに、にかいべんきょうしています。にほんごはむずかしいです。でも、にほんごのべんきょうがすきです。わたしはえいごのせんせいです。たくさんのひとたちにいろいろなレベルでおしえます。わたしはじてんしゃでせいとのうちへいきます。わたしはにほんがすきです。
かいづかのような、ちいさなまちがだいすきです。
だから、しあわせだとおもいます。みんな、しんせつでやさしいです。わたしはにほんのたべものがすきです。うどん、さしみ、ラーメンとてんぷらなどです。まいとし、だんじりをみるのがだいすき。わたしのしゅみは、でんしゃをみたり、しゃしんをとることです。
これからもかいづかにすんでいるので、もしあったら、わたしにこえを、かけてください。
4.宮田(みやた) 美羽(みう)
ボランティア:高田(たかだ) 由野(よしの)
「日本のお葬式」
私は日本に来て8ヶ月たちました。
私の主人は日本人で、生れは九州です。
先月主人のおじいさんがなくなり、九州に帰り、お葬式にでました。
日本では黒い服を着ます。中国では白い服がほとんどです。私は黒い服を準備していなかったので、主人のお母さんの若い時の服をかしてもらいました。しかし、お腹の周りがきつくてはちきれそうでした。
長い時間の正座も初めてでした。足が痛くて、どうしよう周りを見たら、みんな疲れない。正しく座っていました。私は我慢できずスカートの中で見えないように足をくずしました。あー気持ちいい。
お焼香の仕方もよくわからない、一回目は手でさわって何だろうと思い、二回目はこれは一体何だろうと、しっかり目で確かめ、三回目はもうわかったと思ってしていました。
おじいさんは枢に入れられ、みんなで見ました。中国の枢には窓がありません。そして中国では家族だけしか死体を見れません。
私は初めて死んだ人の顔を見ました。びっくりしました。おじいさんと合うのはこれが初めてでした。
その後、火葬場に行きました。骨をはしでひろいます、中国でもありますが私はまだしたことがありませんでした。
三日前は生きていたおじいさんが今は骨だけになった。もう人間の形じゃないと思うと涙がでて、声をあげてないてしまいました。周りの人たちが私の方をジロジロみていました。みんな私の気持ちがわからない、私は日本語がうまくしゃべれないので、自分の気持ちを人に伝える事ができません。いらいらします。
これからも、しっかり日本語の勉強をして自分の気持ちを人に正しく伝えていけるようになりたいと思います。 そして日本の習慣も早く覚えていきたいと思います。
5.サンチャイ コンチェルン
ボランティア:中尾(なかお)利恵子(りえこ)・徳野(とくの)倫子(つねこ)
松本(まつもと)秀樹(ひでき)・向井(むかい)智子(ともこ)
みんなさんこんにちは、ぼくはタイのサンチャイです、いまは19さいです。
きょねんの3がつににほんにきました。そのときにほんごがあまりわかりませんでした、ぼくは3かげつぐらいタイですこしにほんごをべんきょうしました。
きょねんの4がつぐらいにおかあさんといっしょににほんごをべんきょうするめにKAIFAにきました、それで5がつ23にちからにほんごのべんきょうをはじめました、にほんごはむずかしいですがおもしろいです。
これからしごととがっこうのことをはなします。
さいしょにしごとをしたのは3がつ17にちです。
ぼくのしごとはうえきやではたらいています。あさ6じ8ぷんにおきます、いろいろしてからかいしゃにいくじかんは7じです。
かいしゃはみずまにあります、じてんしゃでいきます。
いえから8ぷんぐらいかかります、だいたい7じ20ぷんにみんながあつまって、しゃちょうがいうてだれがどこにしごとにいくかだれがなんのしごとをすることをきめます、たとえばきをきったり、しょうどくしたり、くさかりをしています。
いまぼくは1ねんぐらいかいしゃのしごとをしています。
さいしょぼくはにほんごがあまりわかりませんから、みんなはあまりなんにもおしえてくれませんでした、それでさいしょの3かげつぐらいにずっとかりとっておちたはっぱとえだのそうじをしました、それからかいしゃのひとがときどきうえきのきりかたをおしえてくれます。
でもきをきることはむずかしいですがおもしろいです。たとえばまきのきとひくいきのかたちをうえきばさみできってちゃんとします、いまぼくはそのことができるようになりました。
ことしの4がつからぼくはがっこうにいっています。がっこうにはいるまえにかいしゃのしゃちょうにがっこうのことをはなしました。ぼくだけ4じはんにしごとがおわります。しゃちょうはきびしいですがやさしいひとです、がっこうはいずみさのにあります。
さいしょぼくはともだちがあまりいなかったのです。
でもひとりだけともだちができました。そのともだちは24さいです。かれはきしわだにすんでいます。かれはまえにだんじりをひいていました。僕はまつりずきだから、はなしをきいてだんじりをひきたいとおもいました。
べんきょうのことはあまりわかりません、かんじがむずかしいです。ことばもまだたくさんわかりません。それで、いつもわからないとき、ともだちにきいています。ともだちはせつめいしてくれます。でもぼくはあまりおぼえられないのでさわだせんせいににほんごのべんきょうをひとりでうけています。
べんきょうがおわってからクラブにはいっています。クラブはいろいろなスポーツがあります、たとえばたっきゅうやバスケットボールやバトミントンなどいろんなクラブがあります。
クラブがおわってからいえにかえると11じぐらいになります。それからおふろにはいってねます。
それでぼくの1にちがおわります。
まいにちいそがしいくてつかれています、でもがっこうがたのしくてやめたくないです。
これからもしごととがっこうをつづけたいです。
6.謝(しゃ) 惠紜(けいうん)
ボランティア:安野(あんの) 勝美(かつみ)
「日本に驚いたこと」
日本に来たのは初めてです。これまで日本のイメージはだいたいインターネットや、本から知りました。自分は仕事のため日本にきましたが、日本人にとって普通のことでも私は面白く、びっくりしたことがありました。
最初は空港から、皆日本語をしゃべることにびっくりしました。なぜかというと、自分はもう“日本”に到着したこと。それから、バスに乗るとき、運転席は右にあることをもう知っていましたが、もう運転免許を取った私が本当に見ると、また驚いた気がしました。
私は5月中旬に日本に来ました。ちょうど花の季節でした。いろいろな花が咲いています。どこに行ってもたくさんの花が見えました。なんかその景色を見ていると感動の気持ちが心に溢れました。次は、標識の下に塩を置くことです。日本の冬は台湾より寒いので、“凍結注意”の標識はたくさんある。もし寒い冬に標識を触ると引っ付くでしょうね。
台湾の大学で四年間日本語を勉強しましたが、時々言いたいことがちゃんと話せなく、情けない。日本に来てから、たくさんの日本人が助けてくれて、本当に心から感謝いたします。特に、空港で親切なお爺さんが迷った私を助けて、本当にありがとうございました。もし帰国のとき、そのお爺さんに会ったら、きっと日本語で自分の感謝の気持ちを伝えます。
この度、いろいろなびっくりすることを体験しました。今度チャンスがあったら、皆さまも台湾のびっくり旅行に行ってください。
※謝(しゃ) 惠紜(けいうん)さんは当日所用の為、欠席で「ことば」部会副部長 川口 葉利子さんが代読致
しました。
7.竹本(たけもと) ジェニファー
ボランティア:徳野(とくの)倫子(つねこ)
「わたしのくに と にほん」
はじめまして、わたしは、フィリピンからきました、ジェニファーです。
フルネームでいえば、竹本ジェニファーです。だんな 竹本広明と、にねんまえに、けっこんしました。
にほんには、きょねんのしがつに、きました。にほんにきて、わたしが、いちばん、かんじたことは、きれいなところ、しずかなところ、それと、いちばんは、ほとんどのにほんじんが、しごと、しているところです。
わたしのくに、フィリピンは、ちがいます。
ほこりだらけで、うるさく、ひとがとてもおおくて、とてもびんぼうなくにです。
フィリピンは、あさ5じになると、トライシュケルの、おとがうるさく、ねていられません。そのつぎは、ジープのおとで、みみを、ふさぎます。フィリピンは、しごとが、ほとんどなく、しごとのあるひとでも、あさ、はやくから、よる、おそくまで、しごとします。にほんのおかねで、いちにち、1000えんぐらいです。フィリピンのかぞくが、おおいので、みんなが、ごはんたべられません。でも、フィリピンじんは、とても、かぞくを、だいじにします。それと、とても、あかるく、やさしいひとばかりです。
フィリピンは、とてもびんぼうな、くにですが、こころは、とても、ゆたかなくにです。にほんのくには、ゆたかですが、こころは、どうですか?
わたしは、にほんに、きて、しごとが、なかなか、みつかりません。がいじんは、だめです、と、ことわられます。どうして、ですか。これをきいてくださっている、にほんじんのみなさまも、わたしたち、がいじんのことを、りかいして、くださるよう、それと、かいづかしが、すこしでも、たすけてくれるように、せつに、おねがい、もうしあげます。ありがとう、ございました。
8.グエン ミィ ハン
ボランティア:鎌形(かまがた) しのぶ
「夏中見まいの手紙」
かまがた先生、お元気ですか?
毎日暑いですが私たちは元気です。
先週、私と家族で海に行きました。水で遊んだり、あさりを取ったりしました。とても楽しかったです。
夫と息子は暑さに弱くて、毎年夏やせします。先生も体に気をつけて、かぜなどをひかないようにしてくださいね。
家の畑には今、いろいろな夏野菜がうえてあります。畑のすみにもにわとりをかっています。ひまな時、ぜひ遊びに来てください。ベトナム料理をいっしょに食べましょうね。
それではお元気で、さようなら。
ご家族の皆様によろしくお伝えください。
9.深川 (ふかがわ) 春(しゅん)梅(めい)
ボランティア:千歳(ちとせ) 敞造(ひろぞう)・川崎(かわさき) 紀子(のりこ)・行(ゆき) 洋子(ようこ)
「日本での生活」
皆さん、こんにちは。中国から参りました馬春梅と申します。
飛行機から降りた瞬間、美しい自然と綺麗な住環境に深い感銘を受けました。
私の母国中国も美しいですが、日本ほどではないと思います。
日本に来て1年3ヶ月が経ち、色々な事を学んで日本が大好きになった私は、日本に住む事が偶然ではなく、運命だと感じています。
私はいつも「郷に入っては、郷に従え」と思っています。だから早く日本の文化をよく理解して、皆と同じように生活したいです。でも現実はそんなに簡単ではありません。生活する中で色々な問題が出て来ました。一番苦労をしているのは言葉です。自分ひとりで勉強するのは限界があると思った私は、友達の紹介でKAIFAに来て、親切なボランティアの先生方に出会いました。発音から分かりやすく丁寧に教えてもらっています。ますます日本語の魅力と難しさを感じているところです。先生方にはとても感謝しております。
しかし私の主人は岸和田で育った人なので家での会話はほとんど岸和田弁を使っています。最初、岸和田弁がよく理解できなかった私は、沢山おかしい事がありました。例えばこういう感じです。
(夫) 「ああ、腹へった。何か食う物くれや」
(私) 「へえ・・・なに・・・?」
(夫) 「お腹がすいた。何か食べ物をくれますか」
(私) 「あ、はい、あるけど、作る時間がかかりますね。出前を頼んだら・・・」
(夫) 「ほんだら、そないしょ!」
(私) 「・・・また分からない言葉が出て来た・・・ほんだら・・・?」
(夫) 「そうしたら、そうしましょう!」
というように実際の生活に困る事が何度もありました。その時からKAIFAの勉強以外に、「にくそい」「そうやし」といった言葉も一生懸命覚えました。
言葉の中にその国の歴史、文化、習慣が入っています。方言もその地域の食文化や服飾文化と同じように大事です。
そして、昨年九月、日本で有名な岸和田だんじり祭りに初めて参加しました。朝四時頃起きて、だんじりの所に行きました。まず驚いた事がありました。それは人の多さと小さな子供から老人までも参加している、その激しい情熱です。驚きと期待でドキドキしました。笛や太鼓の独特の音に興奮しました。そして三日間ずっとだんじりと一緒に、必死に走りました。楽しかったけど、めちゃくちゃしんどかったです。でも今年も参加する積もりです。
主人と出会って本当に良かったです。
国境を超えた恋愛も幸せだと私は思います。
これからも日中友好のため頑張ります。
皆さん、ご清聴有難う御座いました。